大道廃レテブログ有リ
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 無為について
 ・精神は何か自分を束縛するものに没頭させられないと、あっちこっちと、茫漠たる想像の野原にだらしなく迷ってしまう。

 私たちの精神はせわしない。
 私たちは「なにもしない」でいたことがあるだろうか。
 人の精神は、あまりにも自由過ぎる。


 ・確固たる目的をもたない精神は自分を失う。
  なぜなら、よく言われるように、どこにでもいるということはどこにもいないということだから。

 仏門における無我の境地とは、無我の境地を求めた時点でそれは無我の境地ではない。
 私たちの精神は、目的を持たないでいられたことがあるだろうか。
 しかし、確固たる、なるほど。確固たる目的ならば、中々持っている人間も少ない。
 捉え所のない、宙に浮いたような目的は、どこにでもあるものだ。
 それは、全く表に現れないもので、ただの精神の中に留まるような目的だ。
  
 ・マクシムスよ、どこにでもいるものはどこにもいない(マルティアリス「諷刺詩」7の73)
  
 それは、「どこにでもいる」ということはありえないということなのか。
 もし、何かがそこに存在することが、変化の象徴であるとすれば。
 どこにでも遍く存在するものが仮にあるとするならば、それは無変化だ。
 つまり、存在していないということなのだろう。
 とはいえ、どんなものでも、どこにでもあったら飽きるものだ。
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(2009/07/21(火) 22:00)

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